「リアルのゆくえ展」寄稿文/水中の記憶
幼少期、夏になると毎日のように川へ魚を獲りにいっていた。水中に潜り、モリで魚を突いて獲るのだが、痩せていて長時間水に入っていることができなかった。その為、自分なりのやり方を考え出す必要があった。編み出した技法は、石のようにひっそりと息を潜めて待つ「石になる」と、川の上流から流されながら魚を探す「水になる」であった。石になるのも良かったが、せっかちな私には水になる方が性に合っていた。繰り返すうちに魚を獲る目的以上に、流される行為自体が喜びとなっていた。流れが強く岩の多い箇所も多かったので今思い返すと危なっかしい遊びである。口で言うのは簡単だが、石や水になりきるのは容易ではない。魚を獲りたいと欲する意識は、水と私との間に厚い壁を作る。どれ程体得できていたのかは分からないが、少なくとも今の私よりは上手くやっていたと思う。水の流れと一体となる心地よさに素直に身を委ねていたのだろう。魚はあまり獲れなかったが、怪我をする事もなかった。 » read more