樹洞のユリ

「樹洞のユリ」

 

初めて大瀧神社、岡太神社を訪れたのは春祭りの時だった。ブナ林の残る奥宮から山裾の里宮までの参道を神輿の後を追いながら、あれこれと想像をめぐらしながら歩いた。伝承や神社の配置、祭りの背景にはこの土地の水と深い関係があるように思えた。

 

3度目の視察時、展示場所を探して神社近辺を歩き回っていると、けもの道が林道から山中へと続いていた。道に添って歩き進めると水の音が聞こえてきた。小さな沢が流れており、けもの道はその沢を超えて先へと続いていた。沢の前で立ち止まりあたりを見渡すと一本の杉の木が目に留まった。岩を抱え込むようにして立つその木には小さな洞があった。雨風をしのぐ最低限の大きさではあるが、実際以上の空間の奥行を感じ、そこに作品を置くことを決めた。

 

けもの道は諸事情で使えないことが分かり、車道から洞まで道を通すこととなった。道造りに際して、環境再生師の後藤翔太さんに依頼し、協同制作する事となった。

 

フィールドに道を通すことは、立体的かつ動的なキャンバスの上に一筆で線を刻むようなものだ。時に獣の眼、風の眼、水の眼で観なければそこに最良一筋を見出すことはできない。後藤さんは、風の流れ、植物の状態や獣の動線、地下水脈、土中の環境を読み進める事から作業を始めた。場に対する見え方の粒度が細かくなるにつれ、土地の力が弱くなっている事がより鮮明に浮かび上がってきた。地下水脈の流れに澱みが生じ、土地が本来持っていた力が失われていた。その根本原因は山の下方の河川をコンクリートで覆ったことにあるという。これ以上安易に土を踏み固め、崩す事は避けたい状況だそうだ。

 

これから訪れるであろう数百という人の足の荷重は想像していた以上に重かった。後藤さんの眼をもってしても、道筋が見えてこない。というよりも足を運ぶ小さな点が、全体と連関しあっている事が見えているからこそ、先に進まないのだろう。徐々に進み始めた道造りの作業の流れはすぐに停滞した。手が止まり、立ち止まっては次の一歩を置く場所を探す時間が増えた。土砂崩れによって出来た不安定なひずみのような場所に差し掛かった時、とうとうどこにも次の足を置く場所を見出せない、まさに八方ふさがりの状況に陥った。

 

木道を通せば環境への負荷は軽減できる。しかし、そこを歩く人の感覚に目を向ければ、平滑で直線的な道は、都市の感覚を地続きで山の中に持ち込むことになるのではないか。現に安定した階段を一つ設けただけで、立体的な斜面に慣れた足裏には違和感があった。そもそも、そんな予算も、時間も持ち合わせてはいない。限られた制約の中で展示場所を変えるか、道筋を見出すかの選択をせまられ、私は道を通すことを選んだ。

 

そこで、後藤さんが提案してくれたのが、素足で歩くというアイデアだった。強固な造作によって崩れない、歩きやすい道を作るのではなく、人が身体ごと自然に寄る。負荷のかからない速度で柔らかな足取りで歩を進める。その発想の転換に賛同し、早速履いていた足袋を脱いで歩いてみた。予想以上に痛みや不快感は少なく、地べたの湿度や、様々なマテリアルの感触、色んな情報が心地よさと共に足裏から直に入ってくる。作業場にこもりがちな私の足の皮は薄く、はじめは小枝のささくれでさえ危険に思えたが、一歩一歩に対して感覚が張り巡らされ、より安定した場所を足裏で探るような歩き方に必然的に変わった。それと同時に、全身の感覚が足裏から開かれていくように感じられた。そんな変化が一枚のゴム底をはぐだけで起こることに驚いた。その日から素足での作業が始まった。作業の速度は緩まったが、徐々に視界の曇りが晴れ、足元の小さな動植物達との距離が近く感じられた。

 

会場では中津川の元猟師の古老ヨネさんが特注で制作してくれた足半草鞋を用意している。足半と呼ばれる、踵部分のない草鞋で、かつて飛脚や山仕事で履かれていたそうだ。素足と比べると情報量は減るが地面の感触も伝わり、適度に保護してくる。自然と抜き足差し足になり、地面を踏み崩す事も少なくなる。

 

作品までの人を通す為の道であったが、そこにはいつも水とのやり取りがあり、それ自体が重要な意味を帯びてきた。

道制作監修/後藤翔太 制作協力/天野秀美.今井武.カネダコージ 写真/六田春彦

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